小学生くらいに戻れたら本当に幸せか(続き)
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お疲れ様です。
流石に一か月たつと、何の話かいてたか忘れちゃいますね。
ええと、小学生に戻れたら幸せかという話をしていました。過去に戻るメリットは「失敗や過ちの取り消し」と「承認の獲得」の2つであるところ、前者については人生に対する体験が矮小化される観点から幸福度を下げる恐れがあり、その虚無性が不可逆であることからリスクが大きいのであると、そういう話をしていました。
そして、「承認の獲得」については次回話そうということでした。テストで容易にいい成績を残すとか、作文や図工で良いものを作ってみてもらうとかが一見楽しそうに見えるけど、そうではないのではないかという話をしたかったです。
これを突き詰めると、承認や周りの評価で結局何を得たいのか、という話に至ります。
この時忘れてほしくないのは、周りからの称賛は、個々人が求めるより高次な目的(充足感や自己の肯定など)を達成するための一つのプロセスであって、それ自体が目的にはならないということです。
例えば、自分でも大したことないと思っていることを過剰に褒められたらどうですか?称賛自体を馬鹿にされているように思ったり、努力を遮る鬱陶しいものだと思ったりしてしまいませんか?
これって小学生に戻って称賛を得ようとする行為に妥当するはずです。簡単な足し算でも都道府県クイズでもいいですよ。自分で納得できてない成果を大袈裟に褒められ続けるのってつらいだろうし、
そもそも子供に対する評価は将来性込みだって、みんなわかりきってることじゃないですか。あるいは未熟ゆえの純粋な表現で大人を超えるかもしれませんが、やり直して子供になった大人には未知も純粋もないから、自己を客観視したときに苦しいですよ。
という話を先月描きたかったです。概ね以上の理由から「小学生くらいに戻れた」としても辛くない?と言いたかったのですが、それにしても
今月はここまで書くのに数日かかりました。一か月前に何書こうとしたか思い出すの結構しんどかったです。仕事が忙しくて自分の時間限られてるし、他にやりたいことあったし、
何より、うっすら頭にもやがかかってるんですよね。頭動かすのが重たいというか...ああ、なんか
この先の人生、経験は積めたとしても単純処理能力は老いていくばかりだと思うと、こういう頭がうまく動かない日は絶望がよぎってしまいます。
多分寝不足なだけなので、ぐっすり寝ればマシになるはず。でもこうやって波を描きながらも、きっと確実に少しずつ朽ちていくばかりの自分の肉体を思うと、
成したいことや最終的なゴールを強く自分の中で持ち続けられるなら、何回も小学生やり直せた方が上を目指せて楽しいに決まってますね。
~~~今月やったこと~~~
創作活動はできなかったが、どうにか勤務と最低限の健康を継続し、生活基盤を維持した
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