夢日記の合同誌に参加しました
アイコンとテキスト
お疲れ様です。
今月はかなり仕事の方が忙しく、睡眠があまり取れませんでした。
いっそ仕事の話を書いてしまえば色々かけるのですが、ちゃんと裏を取らないで不正確な情報を流布してしまったり、身の回りのことを不用意に知られてしまったり、その他職場に迷惑がかかったりということが恐ろしくとてもインターネットに書けません。
まあでも、別に知っていることを端から並べることだけが知性ではないので、僕という存在の人格的な発露を行うためには必ずしも経験したこと知っていることをすべて並べる必要はないと思っています。
そう、ええと、思ったままに書いていてすみません。上の記載が意味不明になってしまった気がするので、勝手に僕の頭に走っていたであろうコンテクストを書き出してみます。
まず、僕がこうやって自分の思ったことをホームページに書いて記録しているのは、自分の活動に周期性を持たせたかった以前に、そもそも、自分のことを知ってほしかったり、考えたこと生きたことが消えてしまうのが怖かったりという気持ちがベースにあります。
そのような知ってほしいとか残したいという気持ちを目的としたときに、それを達成する手段が、上の記載でいう「存在の人格的な発露」なんだろうなと、直感的に考えています。
知性という言葉が出てきたのは、うーん
説明の方法をちょっと考えます
(整理してから書いちゃうと書く内容がほとんどなくなっちゃうので、文字を一定ペースで打つという縛りを科すことで雑談の文字起こしのように書くという荒業を使っています)
そう、なぜ知性という言葉が出たかというと、人格≒知性という前提が頭にあったからですね。ものを考えることの得意不得意に関係なく、結局個人をその人たらしめているのは知性の部分だろうと思っています。
そしてその知性とは、単純的な記憶の羅列に限られないだろうと、そう言いたかったです。
平たくいうと、僕という人がどんな人かをここには残しておきたいけど、そのためは必ずしも僕が経験した事実を並べる必要はないと、言いたかったです。
一方で、経験したことの羅列であっても、その人の一端を知れた気になれることってありますよね。
例えば寝たときに見る夢がどんな夢だったか、とかどうでしょうか。夢の中で起こることは経験的でも、経験の内容である夢それ自体には主観が含まれているから、
夢には、経験した事実を客観的に並べたとしても主観が含まれるという、面白い性質があると思うんです。
というわけで、夢日記の合同誌に参加させていただきました。SNSの方で周知しているので、もし気になればそちらをご覧ください。
※このホームページはいつまで残すかが未定でメンテナンスもあまりしない予定なので、 もし数十年後まで放置しちゃったときまでに色んな状況が変わってもめ事にならないように、ここには主催者や参加者のことはかかないつもりです。気になる人はホームページのトップに貼ってある僕のSNSアカウントから確認し、もしその時に主催者や参加者のアカウントが消えてたら諦めてください。
ではまた来月
~~~今月やったこと~~~
合同誌に参加した。
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